春の嵐
2001年3月31日 一ヶ月以上も更新をしなかった。
やる気というものが、ない。どうせ役に立つようなことは今までいなかったのだから、という気持ちが大きい。そして、目的合理的に何かをするということに、もはや抵抗を覚えてしまっている私は、将来、大したことができるはずもないと思う。特別な才能に恵まれているわけでもないのだから。ただ、最近、合理性であったり、功利的なものを内心で猛烈に攻撃しながらも、それが、今の自分の環境を前提として成り立っているということも、もちろん承知している。
そして「希望などない」と言いながらも、死ぬということを全く考えないところをみると、まさに「希望」に満ちあふれているのだ、私は。生命力が強いのかもしれない。「正義などありえない」と思いながらも、一番に道徳的なものをまもろうする自分がいる。思想と私という人間がどこか破綻しているような気がする。
私が思っているような世界ならば、実際、どこに就職しようが、どんな内容であろうが、関係ないはずなのだ。けれども、私は執着している。まさに、生命に執着している。私が今、最もおそれていることは、自分が納得のいかない就職先に、生活のために、パンのために働くということ。けれども、本来、生活はとても大切なはず。努力もしないーこの場合の努力とは、目的合理的な努力であり、私はこの種の努力を素晴らしいとは思わないし、美的にも醜いーでおいて、「さぁ、人生を!」というのは、あまりにも虫がよさすぎる。
今年一年、就浪して、それで今年一年精一杯「目的合理的に」頑張って、希望がかなうとよいのだ。一年くらい思想に背こう。そんな確約はない。意に添わないことをしてまで私の今の希望に対して私の思い入れ、信仰ということのできるくらいのものがあればよいのだが、それもない。学問の道に進もうかとも思うのだが、それにしたって、ついこの一年、この2〜3ヶ月で自分の人生についての考え方が変わったに過ぎず、今までの実績もない私が、突然、趣旨替えをするくらいの情熱があるかというとそれもない。もし失敗したら、と考えると、何をすべきかわからなくなる。何に対しても、失敗をおそれぬくらいの勇気はないのである。
今は、美意識を確かめたい。そして、それを高めたい。先のことはわからない。そんなことを言えるほど子供でいてよいはずもない。生活をしなければならないのだ。どうする?
やる気というものが、ない。どうせ役に立つようなことは今までいなかったのだから、という気持ちが大きい。そして、目的合理的に何かをするということに、もはや抵抗を覚えてしまっている私は、将来、大したことができるはずもないと思う。特別な才能に恵まれているわけでもないのだから。ただ、最近、合理性であったり、功利的なものを内心で猛烈に攻撃しながらも、それが、今の自分の環境を前提として成り立っているということも、もちろん承知している。
そして「希望などない」と言いながらも、死ぬということを全く考えないところをみると、まさに「希望」に満ちあふれているのだ、私は。生命力が強いのかもしれない。「正義などありえない」と思いながらも、一番に道徳的なものをまもろうする自分がいる。思想と私という人間がどこか破綻しているような気がする。
私が思っているような世界ならば、実際、どこに就職しようが、どんな内容であろうが、関係ないはずなのだ。けれども、私は執着している。まさに、生命に執着している。私が今、最もおそれていることは、自分が納得のいかない就職先に、生活のために、パンのために働くということ。けれども、本来、生活はとても大切なはず。努力もしないーこの場合の努力とは、目的合理的な努力であり、私はこの種の努力を素晴らしいとは思わないし、美的にも醜いーでおいて、「さぁ、人生を!」というのは、あまりにも虫がよさすぎる。
今年一年、就浪して、それで今年一年精一杯「目的合理的に」頑張って、希望がかなうとよいのだ。一年くらい思想に背こう。そんな確約はない。意に添わないことをしてまで私の今の希望に対して私の思い入れ、信仰ということのできるくらいのものがあればよいのだが、それもない。学問の道に進もうかとも思うのだが、それにしたって、ついこの一年、この2〜3ヶ月で自分の人生についての考え方が変わったに過ぎず、今までの実績もない私が、突然、趣旨替えをするくらいの情熱があるかというとそれもない。もし失敗したら、と考えると、何をすべきかわからなくなる。何に対しても、失敗をおそれぬくらいの勇気はないのである。
今は、美意識を確かめたい。そして、それを高めたい。先のことはわからない。そんなことを言えるほど子供でいてよいはずもない。生活をしなければならないのだ。どうする?
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